最適なプレゼント選びの公式

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想いにまかせて高額なプレゼントを贈れば
相手は喜ぶだろうか?

正直な話、僕はうれしい。なので随時募集中です。

これ、意外と難しい問題だと思います。
僕はあえて、その難問に対して最適な答えを見つけました。

最適なプレゼント=相手への想い−距離感

あ、これ僕が書いていますので、もちろんモテない人想定です。
モテない人が好きな人にプレゼントでより大きな効果を出すためのお話です。モテる人が何を贈ろうがモテるに決まってるからね。

…本題に戻ります。

いくら相手に対する想いが強くても、想いにまかせてプレゼントを選んでも
相手にとってはただ重いだけ。

相手との間に横たわる距離感を差し引いて考えないと、
心から喜んでもらえるプレゼント選びはできません。

だから上記のような公式で考えてください。

僕は奥さんと付き合う前の誕生日に、
上記の公式を利用しつつ奥さんの
精神的に負担にならないものでありながら、
サプライズ感のあるものとして

「なんでも言う事を聞きます券」をプレゼントしました。
奥さんはとても喜んでくれました。

しかし、あれから10年以上経ちましたが、
その券は使われていません。

恐ろしい事に僕はその券に有効期限を入れ忘れた。
結局、今ではその券が僕の精神的な負担になっている。

 

 

 

好きな人の笑顔は、不安の影を消す太陽だ。

笑顔はいいなぁ。
天気の良い日に干した布団に包まれてるみたいで。
特に好きな人が笑顔でいると、
僕の不安や緊張はどこかへ消えていく。

子供の頃は母親の笑顔が安定剤だった。
子供にとって母親の笑顔は太陽だと思う。
お母さんがニッコリしていると、
子供達はその下でのびのび遊んでいられる。

小学校5年の頃、僕は謎の発熱で夏休み中を
部屋の布団の中で過ごした。
身体が弱かったので単なる風邪だと思ったけど
なかなか熱が下がらない。

病院へ行くが、原因がわからず、
徐々に行く病院も大きくなって行った。
検査もどんどん精密になって行く。

僕は母親に甘えて「もう病院に行きたくないよ」と愚痴をこぼす。
母は、真顔で何も言わない。
僕はよく分からない理由をつけて行きたくないアピールをした。
ただ、母親の「大丈夫だよ、なんでもないよ」の
コトバと笑顔が欲しかった。

でも、母親も混乱していたのだろう。
自分のバカ息子のことが心配で笑うどころではなかった。

結局、謎の発熱は謎のまま処理された。
僕はモヤモヤしたまま家に帰ると、
母親が本当に嬉しそうに笑って出迎えてくれた。
医者のコトバより母親のこの笑顔が僕を安心させてくれた。

やはり笑顔は太陽だ。

でも世の中のお母さん。
だからと言って無理して笑顔でいる必要はないですよ。
子供達がなぜ太陽だと思うか?
それは雨の日も曇りの日もあるから。
つまり、そのままのあなた、そのままのお母さんが一番です。

笑顔の割合が少しでも多ければ、
雨や曇りの日なんか覚えてないから。

おじさん 日常のショートショート

おじさんは、昼食を買うため
イトーヨーカドーに行った。
カップラーメンを選び、レジに並ぶ。

 

カバンを持っていなかったので、
一枚2円のビニール袋をください!
という札を渡す。

童話の挿絵に出てくる魔女のような
レジのおばさんが
「大きいビニール袋と小さいビニール袋があります。
料金は変わらないのですが、いかがいたしますか?」
と、一日数十回繰り返すであろう言葉を
抑揚のない声で言う。


聞きながら、ぼんやりと
『舌切り雀』の話を思い出していた。


欲張りなおじさんは、
大きなビニール袋を選んだとさ。

樹木希林さんの言葉

樹木希林さんの言葉は、

ゆっくりと刻まれたシワのように

味わいがあり、深い。

 

今日も朝から、ワイドショーでは、

希林さんを偲んで、

過去の映像を流していた。

そんな中、思わず、

もう一度巻き戻して聞き直したい

言葉があった。

 

それは、希林さんが

内田裕也さんに対し、

離婚無効の訴訟を起こした時

囲み会見での独り語りの部分だ。

 

以下、ほぼ聞いたままを書き写しましたが、

一部読みやすく手を加えさせいただきました。ご了承ください。

 

『私は本当に変な女なんですけど

世の中に怖いものはないんですね。

それは、人間に対しても。

死ぬことすらどうでもいいことなんです。

ただ、私には、

たったひとつ怖いことがある。

それは主人の前に立つこと。

なぜ怖いかというと、

主人は、社会的にいろいろな不道徳な部分を持っています。

でも、それを私が「おお汚い、おお汚い」とかき分けて入った時に、主人の心の中に

きれいな鏡みたいのがあって、

のぞいてみたら、

一番汚いものが写っていた。

それが私の姿だったんだと。

そういう恐ろしさなんです。

だからケンカする恐ろしさとか、

そういうのではない。

自分の姿をまざまざと見せられる。

そういう男っていうのは私にとって

内田裕也以外)いないんですね。』

おじさんは「オヤジ狩り」にあうのである。

ひとりぼっちは、寂しい。なんだか、僕だけが、みんなとは違う時間の流れにいるみたいで。一生懸命声を張り上げても誰からも気づいてもらえない。そんな気持ちは、それは、年齢をいくら重ねても、変わらなかった。

 

オヤジ狩られたことがある。
「オヤジ狩り」はあくまて、狩る方の言い分だ。

狩られる方としては、やはりオヤジ狩られなのだ。
まぁ、そんな事は、誰も聞きたくないだろう。
だから、先を急ぐ。

友人とふたりで秋葉原をあてもなく歩いていた。
なぜか、その時は、ふたりとも同じような
リュックサックを背負っていた。
だからなのか?

そんなふたりが、細い路地に足を踏み入れると、
10代後半の少年たちが目配せをしている。
嫌な空気を感じたけれど、躊躇する事なく歩く。
少年たちは、おっさんふたりが目の前を通過するたび、
ゆっくりと後からついてきた。
エストサイドストーリーのテーマソングが流れたなら、指を鳴らしながら、踊り出しそうな勢いで。

そして、物陰から、ひときわ大きな少年が出てきて、目の前に立ちはだかる。
僕の中で、曲はスパッと止む。
ひと呼吸置いて、別なメロデイでゆっくりと、
彼は歌い出す。
………そんな訳ない。
彼はゆっくりと話しかける。
「ちょっと、こっちに来て話そうよ」と。
その声には、柔らかいけれど有無も言わせぬ
意思があった。そして、僕の友人の隣に来て、
肩に手を回し、誘導しようとしている。
ここまで、僕にはいっさい目を合わせなかった。
後ろからついて来たダンサーズも、
友人をただ、見つめていた。
友人は「いや、急ぎますんで」と言って、
一切取り合わないようにする。

しばらく「来てよ」、「いいです」の応酬が続く。
途中、僕は、友人に大丈夫か?と声をかけたが、
そこにいるすべての人から、無視をされた。
僕の中で、恐怖心が小さくなっていき、
寂しさが大きくなってくる。
だから、少しだけ離れてみた。
……うん。誰も僕を気にかけてない。

ここまでくると、別の恐怖心が湧いてくる。
ひょっとして、見えてない?
だから僕は言ってみた
「じゃあ、俺、先帰るね」

今度は僕に視線が一斉に集中する。

「オメーも一緒だよ!」
もの凄い勢いでキレられた。

 

おばあちゃんの「ごめんね」

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

僕のおばあちゃんは、ひと言で言うと強い人だった。なんでも自分でやり、なるべく他人の世話にならないように生きていた。最期を迎える前日、寝たきりだったおばあちゃんが自分から「私をお風呂にに入れてくれないか」と言った。息子夫婦(僕の父と母)は何かを感じ取り涙ぐみ、孫の僕たちも驚いた。あのおばあちゃんがと。僕が知っている限り、おばあちゃんが人を頼りにしたのは、この時とあともう一回しかなかった。れだけ強い人だったのだ。

 

今回お話する、僕とおばあちゃんの冒険?は、この時から15年遡る。

 

それは、僕がまだ小学1年生の頃だった。

ある日の午後、何にもすることがなくハナ水を垂らしボーッとしている僕を

おばあちゃんが誘ってくれた。

「隣の町まで買い物に行くけど一緒に行くかい?」

僕は「うん!」と

散歩に連れってってもらえることを喜ぶ

小犬のように息を切らし準備をする。

そして、おばあちゃんを置き去りにして、バス停まで走って行く。

 

バスの中では、借りて来た猫のように静かにした。

ただ、バスの降車ボタンを押すことに集中していた。

女性の声で次々と停留所がアナウンスされる

僕はその度にドキドキした。

いよいよ目的地、降りる停留所に近づく。

「次は~」とアナウンスされた瞬間、どこからかピンポーンと鳴る。

問題の途中なのに自信満々に答える高校生クイズの早押しのように。

僕はただ頭を抱えた。そして、敗者のようにバスを降りた。

 

当時オープンしたてのハローシティーキンカ堂深谷店に着く。

神経質な僕は、迷子にならないように腰の曲がったおばあちゃんに引っ付いて歩く。

おばあちゃんの買い物はすぐに終わった。

もう帰るのかと思っていたが、なぜかエスカレーターを登る。

3Fのおもちゃ売り場に着く。

おばあちゃんは「好きなもの買いな」とニッコリする。

僕は嬉しい気持ちを抑えながら「ううん、いらない」と答える。

 

おばあちゃんは眉毛の間に縦じわをつくり

「あまりこうやって出かけることもないんだから、遠慮せず買いな」

 

僕は少し困って、困りながらもおもちゃが欲しくて

迷ったけど、本当に欲しいものを指差した。

 

おばあちゃんは、また笑顔に戻って満足そうに

おもちゃを持ってレジへ行く。

 

おばあちゃんは、財布をバックから取り出す。

でも支払いを済ますまで時間がかかった。会話の内容はよくわからなかったが、

何やら店員と話し込んでいた。

しばらくして「じゃあ行こうか」とおばあちゃんが歩き出す。

エスカレーターを降りて玄関を出ると、バス停ではない方に行く。

僕は、まだ何かあるのかな?と思いながら黙ってついて行く。

 

農業をしながら8人の子供を育てたおばあちゃんは、

当時65歳だったと思うけど、腰も曲がっていたこともあり、

肉体的には、年老いて見えた。

 

そんなおばあちゃんが、少し歩くたびに立ち止まり腰を伸ばす。

それを繰り返していると、辺りは静かにな住宅街になっていた。

 

ある家の前に立ち止まると、再び腰を伸ばし

「おばあちゃん親戚の〇〇さんに用があるから」と

インターフォンを押す。

「………」何回か押してみるが、返答はなかった。

ため息をついて「いないみたいだね」とつぶやく。

 

再び歩き始める。

また少し歩いては立ち止まり腰を伸ばす。

そして、今度は僕に向かって「ごめんね」と言った。

僕は何のことか分からず、ただニコッと笑う。

 

おばあちゃんはその後も立ち止まるたびに

僕に「ごめんね」と謝っていた。

僕は何だか悲しくなって、でも泣いたらいけないと思って

我慢しながら歩いた。

 

結局、1時間くらいかけて自宅にたどり着いた。

 

その夜、僕は父親からも母親からも、

今までの記録を塗り替えるほどの勢いで叱られ、怒鳴られた。

おばあちゃんは僕をかばうために、それを越す勢いで怒鳴った

「この子を責めないで、悪いのは私なんだから」と。

 

 

 

 

後からわかったのだけれど、買ってもらったおもちゃは、

1万円もするものだった。

おそらくおばあちゃんは残り1万円しか持っておらず、

バス代がなくなることが分かっていながら、

孫のために買ったのだろう。

そして、孫を歩かせることがあまりにもツラくて

人の世話になることが嫌いなおばあちゃんが、

親戚の家を訪ねお金を借りようとしたんだと。

 

 

 

 

 

 

おじさんは糖尿である。2

糖尿病と診断された後、

医師から食事のとりかたを指導された。

 

●13回、規則正しくとること

白米も適量をちゃんと食べる

お菓子は週1回ならOK

長い付き合いなのでストレスを溜めないように。

 ドカ食いは避けて。

 

……今思えばわかるのだが、糖尿病には

コレを食べれば良い。と言うのは、ない。

 

糖尿病は、何でも食べて良いのだ。

しかし、当時のおじさんは、

いったい何を食べればいいのだと、

途方に暮れていた。

いっそ、コレだけ食べてろ!

的な事を言って欲しかったのである。

 

しかし、糖尿初心者に世の中の人は、

アドバイスをしたがるのである。

 

まず、薬剤師が言い放った。

「おじさん、糖尿病なんて、肉を食べてればいいのよ」と

ドヤ顔で。

おじさんが待っていた、“コレだけ食べてろ!”的な

アドバイスであったが、元来、あまのじゃくなおじさんは、

顔につくり笑いを浮かべながら

「なんで医者でもないお前に、

そんな事言われなアカンネン!」と心に思っていた。

後日、医師に告げ口もした。

 

つぎに、職場のお節介なおばさん。

おばさんは、いったいどこの情報?

と聞き返したくなる情報を、

あれやこれやぺらぺらと

教えてくださった。

「毎日1回魚を食え」、

「蕎麦がいい」、

「ミネラル豊富な水を飲め」などなど。

一応、お節介なおばさんのアドバイスは、

有り難く聞き入れて、しばらく続けてみた。

もちろん糖尿病改善のためではなく、

人間関係維持のためである。

 

で、結局、おじさんがたどり着いた結論は、

「早く自分のフォームをつくれ」でした。

食事内容を習慣にすること。

これをすることで、

アドバイスしたがる人に何を言われようが

ブレなくなる。

さらに、万一その食事内容が間違っていたとしても、

また新たな習慣をつくれば良いのだ。

 

で、これに気づいた時から、

おじさんの血糖値は下がって行った。