巷の批評家よ、君の発する言葉はブーメラン!結局、君の行動を妨げてしまうのだ。
日本代表が決勝トーナメント行きを決めた日、
ネットやテレビで感情的な言葉を目に耳にした。
「無気力プレイ」、「やる気ない」、「決勝トーナメント行けなくてもいいから攻撃し
てほしかった」、「韓国は美しく敗退したが、日本は醜く16強に進出した」……。
最後の言葉を言った奴は、某国の有名な元代表選手である。
アカンぞ、お前!昼休み部室に呼び出しな。
ちなみに、ポーランド戦の最後の10分間は、あれは無気力プレイなんかじゃない。
決勝トーナメントへ行くための超攻撃的プレイだった。
……で、さらに決勝トーナメント1回戦、べルギー戦後にもTwitter上では、
戦犯を探し、選手を吊るし上げる批判・批評の言葉が踊る踊る。
汗をかき必死に挑戦し続けるチャレンジャー。
チャレンジャーのあらを探し批判を続ける批評家。
まさに、「有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする」
(イギリスの劇作家 バーナード・ショウ)。
何も、サッカーのことばかりではなく、人に対して、社会に対して批判や批評ばかりの
人は結構いる。
無能な批評家のまなざしは、チャレンジャーを浅く狭い見識で評価し、
無能な批評家の言葉はチャレンジャーの揚げ足を取る。
そのまま批評家で一生を終えるのなら問題はない。
もし君が行動に出てチャレンジャーになるのなら、
そのまなざしや言葉はブーメランとなり君を痛めつけ、
チャレンジを妨げる呪いになるだろう。
「批評家になるな。いつも批判される側にいろ」(医師 伊藤善太郎)。
批判は、発するとエネルギーを消費するが、
批判をされる側にいると、エネルギーを受け取ることができる。
だから、僕は甘んじて批判を受けようと思う。申し訳ないこんなオチで。