歩を進める世界、たたずむ僕〜笑顔男〜

「透明だけど高くて分厚い壁が君の周りをとり囲んでいるんだ。」

ひと呼吸置き、何かを決心したかのように後を続ける。

「それで、君の周りの人はいつも気を遣って、その壁をノックする。

だけど、どこからか、恰幅のいい守衛さんが出てきて見たこともない怖い顔

で「NO」って言うんだ。それはタバコ屋の前の安永さんちのドーベルマン

より怖いんだよ。」

 

僕は、彼の言葉を聞きながら、

言葉通りのシュチュエーションを思い浮かべていた。

だいぶ飲んだけど酔いは少しずつ覚めてきた。

 

「意味が通じたか分からないけれど、

君を見るといつもそんなことをイメージするんだ。

だけどいつも君は、壁の内側でニコニコとしているだけなんだ。

それは、守衛さんに驚く僕たちをあざ笑っているようにも見えるんだ。

もちろん悪く解釈すれば、と言う事だけれど。」

 

僕は一生懸命、困った顔を作ってみたけれど、

彼に伝わったかは分からなかった。

 

「ハァー」

本当に疲れ果てたようなため息だった。

 

何かを言わなきゃ、と思ったけれど言葉は出てこなかった。

 

「もう行かなきゃならない時間なんだ。

壁を破壊しようとしたし、君をおびき出そうともしてみた

でも、ダメだった。

分かるよね、これは君の問題なんだ。

君の意思がなければ、もう、どうにもならないんだ。」

 

言い終わると、彼は本当にレジで勘定をすませ出て行ってしまった。

右手に大きな旅行鞄を持って。

 

僕は彼ともう逢えないことが悲しかった。

本当に悲しかったけれど、

そのことをどう表現したら良いのか分からなかった。

柱にぶら下がっていた鏡には、笑顔の僕の顔が映っていた。

それを見て初めて涙が溢れ出た。

けれど、いつもの笑顔は崩れなかった。

 

涙を流しながらも、

僕の頭の中にひとつ気になることが生まれてた。

そして、どんどん大きくなっていった。

気がつくとその思いは溢れ出していた。

それが、僕が今日初めて口にする言葉になった。

「彼は僕の分も支払ってくれただろうか。」

その独り言は、少しだけ周りの空気をふるわせて消えていった。

誰の耳にも入らずに。誰の心にもとどまらずに。