本当にあった恐怖?体験

「あなたはホテルによく泊まりますよね」

 

突然、蝶ネクタイの似合う洒落た老紳士は、

僕に向かって話し掛けて来た。

それも電車の中のすべての人が注目するほどよく通る声で。

数分前、電車の扉に“クシャ”って挟まれ

潰れかけてた老紳士を

救出した僕に御礼を言いにきたのかと思えば・・・。



「いや、休憩はよくしますけど」

 

・・・と言ったら何人が笑うかなと思いながら

「いえ」と一言。

「いや泊まります、泊まることになります。」

老紳士の良く分からない自信に圧倒され

「はぁ、そういうこともあるかも知れませんね。」

「でしょう。」

ニンマリと老紳士。



「そこで、ホテル火災にあうんです。」

……話はおかしな方向へ。

 

電車の中の野次馬達の耳がこの会話によりいっそう注目する。

 

逃げ出したーいと思いながらも、

歌舞伎町で6万円ボッタくられた経験を持つ田舎者の僕は、

「そうかも知れませんねぇ。」って簡単に乗ってしまう。



老紳士は満足そうに、

「うん、うん。それでね、そんな時はこれを持っていれば役立つんです。」

目をキラキラさせながら

胸のポケットから※1ビニール袋を取り出した。

(※1説明しよう、傘を入れる袋より短く、厚手のビニール袋は、恐らく特注品である)

 

 

電車の中の野次馬達は耐えきれず、視線をこちらへ集中させる。

 

老紳士は、そんなのはお構いなく、

ビニール袋をぶんぶん振り空気を入れる

「こうやて、酸素を入れて、一気に」

口へ持っていく。

そして、中の溜った空気を吸って、吐いてと呼吸する。



……そのまま窒息死すればいいのに。



電車の中の野次馬達の視線は徐々に冷たいものになっていく。



「ほら、あなたもやってごらんなさい」

と先程とは逆の胸ポケットからもう一枚ビニール袋を取り出す。

くり返すが田舎者の僕は、

「は、はいっ」って乗ってしまう。

空気を入れて、一気に口に当てる・・・・



「そうです、そうやって避難すればホテル火災がおきても助かります」



っておい、本当か?



気付くと電車は神田駅で発車のベルが鳴っていた。



「今日は、その避難用ビニール袋をあなたに差し上げます。」

と言い残し、閉まりかけているドアをすり抜け出ていってしまった。

僕一人置き去りにして・・・・・

 

ぽかぁーんとしてる僕を、

電車の中の野次馬達のジロジロ視線が我に帰らせた。


……このビニール袋どーしよ。

うぁ、みんな見てるで。

やっぱ助けなきゃよかった。

いや、いや、元気出せ俺、

アイツらはこのビニール袋が欲しくてしょうがないんだ。

と現実逃避をしながら目的駅まで、

ビニール袋と僕とを交互に見るジロジロ視線に耐えました。



おわり

もう、お気付きの方もいるかも知れませが、田舎者の僕は、

それから5年間そのビニール袋を大事にカバンに入れておきました。

ホテル火災にあったら大変だからね。